大塚文庫

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大塚金之助(1892-1977)はマルクス主義経済学者として知られ、また歌人としても名を成した。大塚は1962年から1986年にかけて、自らの蔵書のうち和書の大半を東ベルリンのドイツ民主共和国国立図書館(Deutsche Staatsbibliothek, 略称DSB, 現在はプロイセン文化財団ベルリン国立図書館(Staatsbibliothek zu Berlin-PK)に統合)に6度にわけて寄贈した。最後の寄贈は彼の死後、未亡人の手によって行われた。ドイツ民主共和国国立図書館は寄贈者である大塚に大きな敬意を表し、1966年にはフンボルト大学から「大塚文庫」の功績により名誉博士号が授与された。また彼は、日本とドイツ民主共和国(GDR)の交流においても重要な役割を果たした。 1975年には、大塚の活動に対して 「諸国民友好の星(金章)」勲章が授与された。

「大塚文庫」と称される同コレクションは、和書約4600タイトル、洋書約140タイトル、そして150種近い雑誌から成る。コレクションの大半を占めるのは経済および社会科学分野の書籍だが、なかでもマルクス主義・社会主義、政治・女性問題に重きが置かれている。他方において歌人でもあった大塚は、寄贈書中にプロレタリア短歌など複数の文学作品も加えた。同コレクションは、ベルリン国立図書館のオンラインカタログで、全作サーチが可能である。和書は東アジア部のOPACで、洋書および雑誌類はStabiKatで検索できる。両カタログともに請求記号「Otsuka*」と入力することで直接検索ができる。

総数
洋書142タイトル
和書4608タイトル
雑誌148タイトル(大半が日本語)

請求記号
Otsuka 1 – 3263, 5500 – 5510 (和書)
上記のうち: Otsuka 1852 – 1857, 1862 – 1944 (雑誌)
Otsuka 5001 – 5174 (洋書)

検索
日本語書籍タイトル: East Asia OPAC (Otsuka*)
西洋語書籍タイトル: StaBiKat (Otsuka*)

大塚自身が編集・出版した目録4点
私文庫目録
邦書の部(1): 1956年6月現在 (Otsuka 267)
邦書の部(2): 1956年-1959年 (Otsuka 2603-2)
邦書の部(3): 1959年-1962年 (Otsuka 2603-3)
“Index Librorum Prohibitorum in the pre-war Japan” (Otsuka 5074 ROA)

人生

大塚金之助(1892-1977) – その人生と活動、日本-東ドイツ交流で果たした役割



大塚金之助(1969年3月29日撮影)
Staatsbibliothek zu Berlin-PK, CC NC-BY-SA

大塚金之助(1892-1977)はマルクス主義経済学者として、また歌人としても名を知られた人物で、自らの蔵書のうち和書の大半を東ベルリンのドイツ民主共和国国立図書館(略称DSB)に寄贈した。 1920年代にベルリン大学(現フンボルト大学)で学んだ大塚は、ドイツ民主共和国(GDR)に深い愛着を感じており、DSBに宛てた1970年3月10日付けの手紙に書いたように、ベルリンで「大塚文庫」と命名された大塚コレクションの充実を「人生の使命」(Lebensaufgabe)と心得ていた。同コレクションは、1962年から1986年にかけての都合6度の寄贈によって形成された。最後の寄贈は彼の死後、未亡人の手によって行われた。

東京商科大学経済学部(1949年一橋大学に改称)の教授だった大塚は、自己犠牲をも厭わないマルクス主義者としての活動が原因で、第二次世界大戦を前に大きな苦難を経験することとなった。 1933年、彼は反体制派の統制を目的とした治安維持法に違反したとして逮捕、告発された。裁判では懲役2年執行猶予3年の判決が下された。大塚は大学のポストを失っただけでなく、一切の公職から追放された。彼は1945年まで当局の厳しい監視下に置かれた。戦後、大塚は名誉を回復され大学に復職し、1956年まで教育と研究に従事した。

これに加えて、大塚は日本と東ドイツ(GDR)の交流においても大きな役割を担うようになった。日本が西ドイツとの間に外交関係を樹立したのは1955年のことだったが、東ドイツとの正式な国交樹立は1973年まで待たねばならなかった。大塚は、東ドイツ(GDR)との文化交流推進に比重を置いた日独文化の会(1954年創立)の活動を支援した。1960年代に入ると、日本と東ドイツの友好協会(日本DDR友好協会または日独友好協会)が大阪、神戸、高知、福岡、東京など日本各地に設立された。1973年、大塚は顧問を務めていた日本DDR友好協会の会長に就任している。1960年、大塚はフンボルト大学創立150周年記念祝典への出席を要請された。大塚の東ドイツ滞在はその後4回に及ぶ。

オックスフォード大学滞在後の1965年3月、大塚は東ドイツに長期滞在し、ドイツ民主共和国国立図書館(DSB)を訪問した。1966年には大塚をはじめとする日独友好協会の代表団が、「日本民族友好祭」(Tage der Freundschaft mit dem japanischen Volk)に招待された。これは同年9月12日から15日にかけてワイマールおよび東ベルリンで開催された宣伝イベントで、日本画の展覧会やシンポジウム等さまざまなプログラムが行われた。この催しの目玉のひとつが、フンボルト大学名誉博士号を大塚に授与する式典だった。彼は1969年にも東ベルリンを訪れ、国立図書館アジア・アフリカ部創立50周年記念式典に参列している。大塚にとって最後となった1975年の海外旅行の目的地も東ドイツだった。その滞在期間中、東ドイツの全ての国際友好協会を傘下に収める「諸国民友好同盟」(Liga für Völkerfreundschaft)から、「諸国民友好の星(金章)」 (Stern der Völkerfreundschaft in Gold)が大塚に授与された。

大塚の東ドイツへの親愛の情は、二つの作品に見てとれる。一橋大学を停年退職した後、大塚が教えていた明治学院大学のゼミナールは、ベルリンの有名な大通りにちなんで名づけられたゼミ誌『Unter den Linden–リンデンの木かげ–』(ウンター・デン・リンデン)を発行していた。また1969年には自らの東ドイツでの体験を一冊の本にまとめ、 『ある社会科学者の遍歴――民主ドイツの旅』 という親しみを込めたタイトルをつけて出版したが、これは東ドイツについて日本語で詳しく書かれた初期の書籍のひとつであった。1977年の大塚の死から間もない1980年から1981年にかけて、大塚の著作選集が10巻組で出版された(『大塚金之助著作集』)。大塚のかつての教え子有志が設立した大塚会は、会報誌『大塚会会報』を発行し、大塚金之助教授の思い出を今日に伝えている。

大塚の人生、活動、日本ドイツ民主共和国間で彼の果たした役割についての詳しい説明はこちら



「ある社会科学者の遍歴–民主ドイツの旅」(Otsuka 2054)
Staatsbibliothek zu Berlin-PK/Carola Seifert, CC NC-BY-SA

蔵書寄贈

ア・ロング・アンド・ワインディング・ロード(長く曲がりくねった道)━ 日本から東ドイツへ ━ 大塚の蔵書寄贈

大塚の寄贈書籍が当館に届けられるまでの顛末については、ベルリン国立図書館(Staatsbibliothek zu Berlin-PK)に詳細な記録が残されている。ドイツ語に堪能だった大塚は、図書館とのやり取りを全てドイツ語で行った。大塚は、初回の蔵書寄贈の思い出を担当ゼミの発行誌『Unter den Linden–リンデンの木かげ–』に「1962年2月7日」というタイトルで発表した(第4号p. 37-39、1962年3月収録、「大塚金之助著作集」第5巻p. 283-287再録、1981年)。タイトルとなったこの日、およそ6000冊を詰め込んだ32箱が寄贈第1弾として、東京にある大塚の自宅を後にした。彼はこの日を生活の「新しい一つの出発点」と呼んだ。しかしこれから説明するように、輸送の道のりは決して平坦なものではなかった。

1960年、フンボルト大学創立150周年記念へ出席した際に、自分の蔵書を寄贈するというアイデアが大塚の脳裏に初めて浮かんだ。大塚は当初、蔵書をフンボルト大学図書館に贈ろうと考えていた。大塚は、すでに大学図書館館長だったヴィリ・ゲーバー教授にもこの話を持ちかけていたが、教授は1961年6月に急逝した。コンタクトを取れる東ドイツの人物がいなくなり、大塚は途方にくれた。教授の未亡人と連絡を取ろうとする試みは徒労に終わった。東ドイツで教えた経験のある若い同僚たちに相談したところ、彼らはドイツ民主共和国国立図書館(DSB)に蔵書を寄贈するように勧めた。大塚の考えでは、同館こそが世界で最も窮乏している図書館だった。同館の所蔵コレクションは、第二次世界大戦で深刻な損失を被っていたからである。



196227日、大塚自宅前における初回寄付書籍の荷造り
Staatsbibliothek zu Berlin-PK, CC NC-BY-SA



通関手続きの問題を回避するため、荷物は東京ソビエト連邦大使館の外交官用郵便物として扱われた
Staatsbibliothek zu Berlin-PK, CC NC-BY-SA



196227日、初回寄付ぶん32箱をトラックへ荷積み
Staatsbibliothek zu Berlin-PK, CC NC-BY-SA

大塚は同僚の手を借りて、東京ソビエト連邦大使館の後援でシベリア鉄道を利用し、モスクワ経由で陸路輸送する手はずを整えた。費用は大塚の友人とソビエト連邦大使館が負担した。荷物は外交用郵便物として扱われ、関税が免除された。大塚は荷物が日本を離陸してから、東ベルリンの経済学学者カール・オットに蔵書寄贈の件で連絡した。オットは、大塚の蔵書が現在輸送中であることを国立図書館(DSB)に伝えた。図書館は勿論この予期せぬプレゼントに驚いたが、1962年4月には館長のホルスト・クンツェ教授(在職期間1950-1976)が大塚宛ての書状を用意し、彼の「尊い犠牲」に謝意を表した。そしてこの新たなコレクションは「大塚文庫(Bibliothek Ōtsuka)」と名づけられた。

日本からドイツ民主共和国への初回の輸送は、つまるところ官僚的な落とし穴に満ちた複雑きわまりないプロセスであることが判明した。モスクワからフランクフルト・アン・デア・オーデル、そこから東ベルリンへと送られる32箱の荷物を受け取るのは容易ではなかった。東ドイツ、ソビエト連邦双方のさまざまな公的機関がこの件に絡んでいた。荷物が実際どの辺りにあるのかも、しばらくの間わからなかった。双方の関係者の間に手紙やメモが飛び交った。日本-ドイツ民主共和国間の輸送完了のため、国立図書館(DSB)は最終的にソ連ルーブルと東ドイツマルクで相当な金額を支払う羽目になった。オリエント部(1966年~アジア・アフリカ部に改称)部長だったカール・シューバート博士は、上層部に支出の必要な理由を説明せねばならなかった。それにも関わらず国立図書館(DSB)は大塚の蔵書寄贈を歓迎し、この有意義な出来事を世に知らせるため、複数の雑誌に記事が掲載された。



大塚が図書館長ホルスト・クンツェ教授に宛てた書簡(1967年12月3日付け、1枚目)
Staatsbibliothek zu Berlin-PK, CC NC-BY-SA

そのわずか一年後、大塚は2度目の蔵書寄贈によって大塚文庫を拡充する意向を示した。だがその計画が実現するまでには更に数年を要した。大塚は1964年秋から1965年春にかけてオックスフォード大学に滞在した。彼は同地から、複数の日本語書籍を国立図書館(DSB)に送っている。1965年4月、大塚は帰国を前に東ドイツへ向かい、国立図書館(DSB)を直接訪問した。

国立図書館(DSB)が大塚に大きな敬意を払っていたことは、彼にフンボルト大学の名誉博士号を授与する計画が立てられた事実からも明らかである。図書館長クンツェ教授は、フンボルト大学日本学科のゲルハルト・メーナート教授と連絡を取り、案の全面的な支持を得た。1966年6月、フンボルト大学哲学学部は図書館からの要請を受け入れた。大塚が「日本民族友好祭」参加のため東ドイツに滞在していた同年9月、名誉博士号の授与式が行われた。

1967年12月、1000冊を上回る次回の蔵書寄贈を大塚が告知するまでに、いくばくかの月日が流れた。コンピュータ登場以前の時代、こうした輸送の準備には大変な時間がかかった。運送会社および関税の手続きのため、全ての書籍の長大かつ詳細なリストを手書せねばならなかったし、国立図書館(DSB)と大塚のやり取りも計画したようには全く進まなかった。国立図書館(DSB)は、2箱の荷物をポーランドで船から荷揚げして受け取ることを望んだが、荷物は最終的に西ドイツのハンブルクに到着した。国立図書館(DSB)は再びかなりの金額を外貨で支払わねばならなかった。そうは言っても日本語の書籍や雑誌は、東ドイツの日本学研究にとって大変な価値があるものだった。ようやく第3回目の寄贈からは、ロストックを目的地とする海上輸送も滞りなく進むようになった。



大塚が図書館長ホルスト・クンツェ教授に宛てた書簡(1967年12月3日付け、2枚目)
Staatsbibliothek zu Berlin-PK, CC NC-BY-SA



ドイツ民主共和国国立図書館(DSB)の台帳
Staatsbibliothek zu Berlin-PK/Carola Seifert, CC NC-BY-SA

大量の寄贈書の送付以外にも、大塚は日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』を東ベルリンに定期的に送っていた。台帳によると一連の寄贈は次のとおりだった。

  • 初回寄贈:32箱、約6000冊、1962年8月29日到着
  • 第2回寄贈:2箱、1579冊(雑誌含む)、1968年4月16日到着
  • 第3回寄贈:1箱、751冊(雑誌含む)、1970年12月18日到着
  • 第4回寄贈:1箱、1197冊(雑誌含む)1973年11月19日到着
  • 第5回寄贈:棚幅41メートル、書籍1255冊、雑誌420種、1976年10月27日到着
  • 第6回寄贈:書籍830冊、雑誌248種、1986年5月16日到着(大塚没後)

コンテンツ

大塚コレクションのコンテンツ

大塚は自分の蔵書を複数の機関にわけて寄贈した。和書と雑誌類の大半は、ドイツ民主共和国国立図書館(DSB)が受贈した(約12200冊)。1974年、大塚は洋書(約8000冊)を一橋大学図書館に寄贈した。その他30000点にも及ぶ大量の資料(切り抜き、写本、行政ファイル、教材等)も同図書館の所蔵である。2000年には明星大学図書館に、和書を中心とした約400冊を擁する3つめの「大塚金之助文庫」が設置された。

大塚は1962年までに、国立図書館(DSB)への寄贈書誌も含め1956年6月、1956-1959年、1959-1962年の3期立てで蔵書目録『私文庫目録』をまとめた。だがそこには書誌情報のローマ字表記が欠けていたため、ドイツの司書の目からは、それほど有用だとは捉えられていなかった。



3冊組み蔵書目録「私文庫目録」(Otsuka 267, Otsuka 2603-2, Otsuka 2603-3)
Staatsbibliothek zu Berlin-PK/Carola Seifert, CC NC-BY-SA

大塚コレクションのコレクションの中でとりわけ貴重なのは、蔵書のうち現存しない書誌をまとめたもうひとつの目録、『Index Librorum Prohibitorum in the pre-war Japan』である。大塚は1940年から1941年にかけて、自分の蔵書のうち和書約1000冊と洋書500冊をひそかに焼き捨てた。しばしば「思想警察」とも呼ばれた特別高等警察や、日本陸軍の軍事警察「憲兵隊」に見つかることを恐れての行為だった。大塚は同書の序文に次のように書いている。

「1933年から1945年までの12年間にわたり、私は検事局、警視庁、地方特高、近所の交番の監視下に置かれていた。太平洋戦争が近づくとともに、あらゆるマルクス主義的、社会主義的、自由主義的、人道主義的な書物の私有さえ許されなくなった。日本の何万という人々が、自分の手で蔵書を焼きはじめた。わたしも数ヶ月のあいだ、来る日も来る日も、私は悲しみと怒りを感じつつ、だが抗うことなく蔵書を焼いた。全世界のファシズム犠牲者 は、 何十万人、何千万人と、同じように書物を焼いたことであろう。」

しかし大塚は、燃やした本のカード目録をひそかに隠し持っていた。戦後、彼は大学のゼミ参加者らとともに“Index Librorum Prohibitorum in the Pre-War Japan”をまとめ上げ、1959年11月の中国滞在中に私費を投じて50部印刷した。



目録「Index Librorum Prohibitorum in the Pre-War Japan」(Otsuka 5074 ROA)の標題紙
Staatsbibliothek zu Berlin-PK/Carola Seifert, CC NC-BY-SA



邦訳「マルクス=エンゲルス全集」
Staatsbibliothek zu Berlin-PK/Hagen Immel, CC NC-BY-SA

大塚文庫の中心を成すのは、彼の研究テーマに沿った邦訳版『マルクス=エンゲルス全集』(全22巻、請求記号Otsuka 5500) 、著名なマルクス主義経済学者、河上肇による『社会問題研究』完全復刻版(請求記号 Otsuka 2071, Otsuka 3130)などの経済、社会主義およびマルクス主義関係の書籍および雑誌である。

大塚の政治問題への関心は、例えば復刻版『特高月報』(請求記号 Otsuka 2983) など、特高(特別高等警察)に関するいくつかの書誌に反映されている。また、平野義太郎著『大アジア主義の歴史的基礎』 (請求記号 Otsuka 3063、 Otsuka 2665)の名も見える。平野は第二次世界大戦中に汎アジア主義を喧伝し、戦争を支持したマルクス主義法学者である。次回輸送する荷物の仔細を連絡する際に国立図書館(DSB)に宛てたある手紙の中で、大塚は平野の行為についてもコメントしている。

「著名な教授(例: 国際レーニン平和賞受賞者平野義太郎、同賞受賞者安井郁…)によって戦時中に書かれた扇動的かつ好戦的な文章。彼らは日本の無条件降伏の直後、民主主義的な作品を一晩で書き上げた。」(1967年12月3日付、大塚の書簡)

政治関連では、広島と長崎の原爆に関する日本語および西洋語の書籍も多く含まれている。



フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト「日本植物誌」、「日本動物誌」、「日本」復刻版
Staatsbibliothek zu Berlin-PK/Hagen Immel, CC NC-BY-SA

同コレクションのその他の主題としては、日本の女性、北方の先住民アイヌのような少数民族、そして死に関わるため不浄とされた職業(葬儀屋、食肉処理業、皮革加工業)に従事し、社会から疎外された被差別階級の部落民が置かれている状況等が挙げられる。

また大塚が手紙で触れている別の主題は、カール・ツンベルク(Carl Peter Thunberg)、エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer)、イヴァン・フョードロヴィチ・クルーゼンシュテルン(Ivan Fedorovich Kruzenstern(= Adam Johann von Kruzenstern))等、外国人によって書かれた歴史的旅行記の復刻版である。

このジャンルで最も目を惹く作品は、著名な博物学者フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(Philipp Franz von Siebold)の3大作品、『日本植物誌』 (請求記号 2″ Otsuka 5157), 『日本動物誌』(請求記号 2″ Otsuka 5092) 、そして『日本』(請求記号 2″ Otsuka 5091)の高価な復刻版である。



社会主義文学誌「新日本歌人」
Staatsbibliothek zu Berlin-PK/Hagen Immel, CC NC-BY-SA

大塚の歌人としての活動もコレクションに明瞭に反映されている。コレクションには、自身の2つの歌集『朝あけ』(1947年)と『人民』(1979年)のほか、芭蕉や石川啄木といった有名歌人の作品集タイトルが含まれている。これに加えて、児玉花外の『社會主義詩集』(請求記号 Otsuka 1043, Otsuka 2361)や、長年にわたる弾圧を経たプロレタリア文学界に、新たな声を与えようと戦後設立された新日本文学会編集の『勤勞者詩選集』(請求記号 Otsuka 3232)といったプロレタリア短歌の歌集もある。

大塚文庫の雑誌は経済学関係誌が大半を占めているが、社会主義文学誌『新日本歌人』(請求記号 Otsuka 1864)や、その先行作品『人民短歌』(請求記号 Otsuka 1890)もコレクションに含まれている。

1985年4月17日に行われた蔵書整理の際の記録は以下のとおりである。

巻数:7478
上記に含まれていないもの:
大塚コレクション内の重複:棚幅2m
Libri japonici(いわゆる一般和書蔵書)との重複:棚幅12m
欠号のあるシリーズ:棚幅7m
合計約1000巻、600タイトル

タイトル数:4609
上記に含まれていないもの:
大塚コレクション内の重複:棚幅2m
Libri japonici(いわゆる一般和書蔵書)との重複:棚幅12m
欠号のあるシリーズ:棚幅7m
欧米作品の邦訳書籍:棚幅29m
日本/東アジアとの無関係の書籍:棚幅13m
抜刷、本の一章、パンフレットなど詳細不明:棚幅5m

国立図書館(DSB)が編集した大塚コレクションの台帳3巻は、現在はベルリン国立図書館東アジア部が保管している。



ドイツ民主共和国図書館がまとめた、大塚文庫に関する3冊の台帳
Staatsbibliothek zu Berlin-PK/Carola Seifert, CC NC-BY-SA

文献


セレクションー大塚の著作物ー (請求記号)

大塚金之助著作集. — 東京 : 岩波書店, 1980-1981. — 全10巻 (Otsuka 15)

解放思想史の人々 : 國際ファシズムのもとでの追想 1935-40年 / 大塚金之助著. — 東京 : 岩波書店 , 1949 (岩波新書 ; 青版-1) (Otsuka 2001-1)

ある社会科学者の遍歴 : 民主ドイツの旅 / 大塚金之助著. — 東京 : 岩波書店 , 1969 (Otsuka 2054)

歌集朝あけ / 大塚金之助著. — 千葉 : 利田 正男 , 1947 (Otsuka 1527)

朝あけ : 歌集 / 大塚金之助著 ; 大塚会復刻版『歌集朝あけ』編集委員会編. — 復刻版. — 横浜 : 大塚会 , 2006 (5 A 275651)

人民 : 歌集 / 大塚金之助著. — 東京 : 新評論 , 1979 (Otsuka 22)

Index Librorum Prohibitorum in the pre-war Japan. List of books and periodicals in Prof. Otsuka’s collection. Burned secretly by himself in 1940 – 41 under the pressure of the Tokko (Special Higher Police) and the Kempei (Military Police). Compiled from the index-cards of the destroyed literature / By Kinnosuke Ōtsuka. Musashino-shi, Tokyo, Japan : Privately printed for Kinnosuke Otsuka, 1959 (Otsuka 5074 ROA)

私文庫目録 / 大塚金之助著 . — [東京] : 発行者不明, 全3巻
邦書の部 (1) : 1956年6月現在 (Otsuka 267)
邦書の部 (2) : 1956年-1959年 (Otsuka 2603-2)
邦書の部 (3) : 1959年-1962年 (Otsuka 2603-3)

セレクションーその他の参考文献ー (請求記号)

Heideck, Christian: Zwischen Ost-West-Handel und Opposition : die Japanpolitik der DDR 1952 1973. München: Iudicium, 2014 (Monographien aus dem Deutschen Institut für Japanstudien ; 57) (1 A 917070)

Tsuzuki Chushichi: Tenkō or Teikō: the dilemma of a Japanese Marxist between the wars, in: Themes and theories in modern Japanese history : essays in memory of Richard Storry / ed. by Sue Henny and Jean-Pierre Lehmann, London [u.a.] : Athlone, 1988, pp. 215-229 (813309)

About the Ōtsuka Collection of Hitotsubashi University

大高俊一郎(一橋大学附属図書館)「大塚金之助関係資料解題」

大塚会会報 増刊号1981.05 ~ (Zsn 131470)